教育資料問題対策 重要教育資料入門【中教審答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体改革について」(答申)】
-2015.4.9更新-
最近の教職教養では、資料問題の比重が大変高くなっています。
特に教育時事の問題では、新しい資料による出題が大変多いです。
このコーナーでは、今後出題が予想される重要な資料について紹介・解説していきます。
今回は中教審答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体改革について」を紹介します。
大学受験制度の改革について答申したもので、紹介した部分の出題が予想されます。
新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)
~すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために~
平成26年12月22日 中央教育審議会
1.我が国の未来を見据えた高大接続改革
(1)今後の教育改革が目指すべき方向性と現状の課題
(初等中等教育から高等教育まで一貫した、これからの時代に求められる力の育成)
新たな時代を見据えた教育改革を進めるに当たり重要なことは、子供たち一人ひとりに、それぞれの夢や目標の実現に向けて、自らの人生を切り拓き、他者と助け合いながら、幸せな暮らしを営んでいける力を育むための、初等中等教育から高等教育までを通じた教育の在り方を示すことである。
子供たちに育むべきこのような力を言い換えるならば、それは「豊かな人間性」「健康・体力」「確かな学力」を総合した力である「生きる力」にほかならない。
このうち「学力」については、戦後からの長い間、「自分で考え自分で実行する」型の教育と、体系的な知識を注入する型の教育との間で議論が繰り広げられてきた。
過去の学習指導要領の改訂に際しても、「ゆとり」か「詰め込み」かのような二項対立的な議論がなされてきた。
こうした二項対立を乗り越え、平成19年の学校教育法改正により、「基礎的な知識及び技能」「これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力」「主体的に学習に取り組む態度」という、三つの重要な要素(いわゆる「学力の三要素」)から構成される「確かな学力」を育むことが重要であることが明確に示されたところである。
こうした「確かな学力」の育成を目指し、特に小・中学校においては、学力の三要素を踏まえた指導の充実か図られるよう、多くの関係者による実践が重ねられてきた。
全国学力・学習状 況調査において、主として「知識」に関する問題だけではなく、主として「活用」に関する問題も出題されていることなどが、関係者の意識改革や各学校における授業改善に大きな影響を与えている。
また、現行の学習指導要領に基づく、学級やグループで話し合う活動や、調べたことや考えたことを発表し合う活動等を重視する「言語活動」、各教科や総合的な学習の時間等における探究的な学習といった、学力の三要素に対応した学習方法についても、評価の在り方と併せて実践が重ねられ充実が図られており、国内外の学力調査の結果にも、そうした実践の成果が表 れてきていると見ることができる。
高等学校教育及び大学教育においては、そうした義務教育までの成果を確実につなぎ、それぞれの学校段階において「生きる力」「確かな学力」を確実に育み、初等中等教育から高等教育まで一貫した形で、一人ひとりに育まれた力を更に発展・向上させることが肝要である。
(高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜における課題)
高等学校については、現行学習指導要領において、知識・技能の習得に加えて、思考力・判断力・表現力等の能力や、主体的に学習に取り組む態度の育成を目指しており、その実現を目指した関係者による努力が重ねられている。
大学教育についても、中央教育審議会答申等において、初等中等教育段階における「生きる力」の育成を踏まえ、「学士力」をはじめとする育成すべき力の在り方や、その育成のための大学教育の質的転換について提言されてきており、学生が主体性を持って多様な人々と協力して問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(以下 「アクティブ・ラーニング」という。)の充実などに向けた教育改善が図られつつある。
しかしながら、我が国が成熟社会を迎え、知識量のみを問う「従来型の学力」や、主体的な思考力を伴わない協調性はますます通用性に乏しくなる中、現状の高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜は、知識の暗記・再生に偏りがちで、思考力・判断力・表現力や、主体性を持って多様な人々と協働する態度など、真の「学力」が十分に育成・評価されていない。
また、特定の分野に強い関心をもち、その向上に夢を賭けて卓越した力を磨いている高校生や、「世界にトビタテ!」の精神でグローバルな課題に積極的に向き合う活力のある高校生、身近な地域の課題に徹底的に向き合い考え抜いて行動する高校生などが評価されずに切り捨てられがちである。
こうした状況では、それぞれの夢を育み、その中で自らを鍛えるとともに、 秘められた才能などを伸ばすことはできず、未来のエジソンやアインシュタインとなる道や、世界を舞台に活躍する潜在力、地方創生の鍵となる問題の発見や解決を生み出す可能性の芽なども摘まれてしまう。
高大接続を実現するための方策は、「はじめに」に述べた未来の姿を実現するための一環とみなされるべきものである。
高等学校、大学ともに進学率が高まり、多様な進路が開かれる中で、一人ひとりの生徒・学生に必要な力を身に付けるためには、上記のような教育改善の更に先にある、新たな時代に対応するための教育の在り方や高大接続の在り方を見いだすことが不可欠である。
そうした観点から高等学校教育と大学教育の現状を振り返ると、現行の大学入学者選抜の大きな影響下で、それぞれ下記のような課題を抱えている。
選抜性の高い大学へ生徒が進学する 高等学校においては、国内外で活躍する次世代リーダーの育成に向けて、スーパーグローバルハイスクール、スーパーサイエンスハイスクールなどの取組や、国際通用性を高める観点からの国際バカロレアのプログラム導入、「総合的な学習の時間」を活用した課題探究の鍛錬、ユネスコスクール等における持続可能な開発のための教育の実践など、これからの時代に必要な力の育成を見据えた積極的な取組も多く見られる。
その一方で、学校の教育方針が選抜性の高い大学への入学者数を競うことに偏っている場合には、高等学校教育が、受験のための教育や学校内に閉じられた同質性の高い教育に終始することになり、多様な個性の伸長や幅広い視野の獲得といった、多様性の観点からは不十分なものとなりがちである。
こうした教育では、大学入試に必要な知識・技能やそれらを与えられた課題に当てはめて活用する力は向上させられたとしても、自ら課題を発見し解決するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力や、主体性を持って、多様な人々と協働しながら学んだ経験を生徒に持たせることはほとんどできない。
そうした生徒がそのまま選抜性の高い大学に入学した場合、一定の知的な 能力を持っていたとしても、主体性を持って他者を説得し、多様な人々と協働して新しいことをゼロから立ち上げ ることのできる、社会の現場を先導するイノベーションの力を、大学において身に付けることは難しい。
「従来型の学力」について中間層の生徒が多い高等学校では、知識量の多 寡で進学先の難易度が決定される環境 において、受験勉強が学習への動機付 けになってきた。しかしながら、少子 化の進展等により大学への入学が一般 的に容易になっているため、それに対 応して、従来のような受験勉強がそれ ほど必要でなくなっている。そうした 中では、今まで以上に、社会で自立し て生きていくために必要な力の獲得を 目標として設定し、学習意欲を喚起す る必要があるが、そうした動機付けを 十分に行わず、自主的にはほとんど学 習せず目標を持てない生徒を多数、選 抜性が中程度の大学に送り出してしま っている例も多い。そうした場合、一 人ひとりの知識・技能や思考力・判断 力・表現力等の能力を伸ばす余地はあ るにもかかわらず、学生に主体性や学 修のための明確な目標が不足している ため、大学においてもそれができない ままになっている。 「従来型の学力」の習得に困難を抱 えている生徒が多い高等学校では、家 庭環境や所得格差等の問題も背景とし て、必要な力を育む以前に、まずは通 学させ卒業させることで手一杯である という状況も多い。そうした中で、生 活指導や教育相談、将来を見通した進 路指導等の支援を熱心に行っている高 等学校もあるが、入学者選抜が機能し なくなっている大学に漫然と送り出さ れる場合も少なくなく、そうした大学 においては、思考力・判断力・表現力 等の能力どころか、その基礎となる知 識・技能自体の質と量が、大学教育に 求められる水準に比して不十分な段階 にある学生が多いことが深刻な問題と なっている。 こうした現状から課題として浮かび上 がってくることは、高等学校においては、 小・中学校に比べ知識伝達型の授業に留 まる傾向があり、学力の三要素を踏まえ た指導が浸透していないことである。こ こには、一般入試においては、一斉かつ
画一的な条件で実施される試験で、あら かじめ設定された正答に関する知識の再 生を一点刻みに問い、その結果の点数で 選抜する評価から転換し切れていないこと、またAO入試、推薦入試の多くが本来の趣旨・目的に沿ったものとなっておらず、単なる入学者数確保の手段となってしまっていることなど、現行の多くの 大学入学者選抜における学力評価が、学力の三要素に対応したものとなっていないことが大きく影響していると考えられる。
また、高等学校の進学率が98%に達する中で、高校生の進路が多様化し、教育課程や授業内容の在り方も多岐にわたり、高等学校教育として生徒に共通に身に付ける学力が確保されていないことも大きな課題となっている。
大学教育については、我が国の大学生の学修時間は米国と比べて依然として短く、特に社会科学系において学修時間が短い傾向が顕著である。
授業の形態についても、一方的な知識の伝達・注入のみに留まるものが多く見受けられる。
こうした現状について、大学教育において学生にどれだけの付加価値を付けて社会に送り出せているかという観点からは、依然として社会からの厳しい評価があり、 国民、とりわけ学生や経済界は、大学教育の現状に満足しているとは言い難い。
さらに、大学教育の場が、多様な学生が切磋琢磨する環境となっておらず、また、自分が将来社会で活動することと大学で受ける教育がどのように関係しているのか、明確でないことが多い。
その結果、主体性を磨くことなく、自ら目標を持ってそれを実現していく力を身に付けないまま、社会に出る学生も多い。
大学において育成すべき力とは何かを明らかにした上で、大学入学者選抜や高等学校教育との連携の在り方を変えていかなければ、大学入学のその先を見据えた、自らの人生を切り拓くための目標を高校生に持たせることも難しい。
また、大学入学者選抜については、前述のように、知識の記憶力などの測定しやすい一部の能力や、選抜の一時点で有 している能力の評価に留まっていたり、丁寧な評価よりも学生確保が優先されるなど、高等学校教育で培ってきた力や、これからの大学教育で学ぶために必要な力を評価するものとなっていない。
そうした背景には、年齢、性別、国籍、文化、 障害の有無、地域の違い、家庭環境等の多様な背景を持つ高校生一人ひとりが、 高等学校までに積み上げてきた多様な経 験や能力を度外視し、18歳頃における一度限りの一斉受験という画一化された条件において、知識の再生を一点刻みで問う問題を用いた試験の点数による客観性の確保を過度に重視し、そうした点数のみに依拠した選抜を行うことが「公平」 であるという、従来型の「公平性」の観念が社会に根付いていることがあると考えられる。